SEE修了者インタビュー

株式会社田村製作所 専務取締役 田村 正光氏 × シナジー・スペース 鈴木 博

事業継承者が『自分が源泉』を生きたとき

株式会社田村製作所 専務取締役 田村 正光
聞き手:シナジー・スペース 鈴木 博
 
株式会社田村製作所 田村正光

田村正光氏(通称マルちゃん)は新潟県長岡市で半世紀近く続いた鋼構造物工事会社、田村製作所の事業継承者(三代目)です。平成18年5月、第四銀行(だいし経営者クラブ)主催「次世代リーダー養成講座」に参加したのをきっかけに、SEE79期に参加、一年間にわたって経営者のリーダーシップについて探求されました。

本日はマルちゃんに、SEEに参加したことで自分や会社にどんな違いが出たか(結果を創ったか)についてうかがいました。

 
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自分は何なんだ

鈴木:次世代リーダー養成講座〜SEE79期で一番印象に残っている出来事について教えていただけますか?

田村:次世代リーダー養成講座のことは印象に残っています。それまでもいろんな経営者の方とお会いしてお話をうかがう機会はありましたが、初対面の方とあそこまで突っ込んだ話をすることはなかったですから。

鈴木:そもそも、マルちゃんが次世代リーダー養成講座に参加したきっかけは何だったの?

田村:当時、まだ自分では何も始めていなかったけれど、一応新規事業のことやなにかを考え始めていて、本を読んでみたりいろいろしていたんです。

ところが親父さん(現社長、田村氏の実父)から「会社は大きくなんかしなくてもいい」と言われまして。それに対する反発が自分の中に相当ありました。

ちょうど工場の立替中で今までより大きな工場をつくっているのに、どうしてそういうことを言うかなぁ、と。親父さんは「会社を大きくすることは考えずに、長く続けることが大事なんだ」と言うのです。

鈴木:お父さんは四百年以上続く会社、つまり「徳川幕府より長く続く会社に」とおっしゃってるそうだけど、そういう考えは当時からあったのですね。

四百年以上続く会社

田村:そうですね、あったようです。で、長く続けるのはわかったけれど、ただ長くやってればいいのだったら、自分の人生には何の意味があるのか、と。でも、それは言葉に出さずに黙って仕事していたんです。

そういうときに、新規事業の立ち上げや何かについて本を読んでみたんですが、なんだかピンと来ない。いまひとつ現実味が感じられず、自分の感覚とのギャップを感じていました。

鈴木:自分の存在理由は何なんだ、それから、学びたいけれどもどうしていいかわからない…そういうタイミングでのだいし参加だったわけですね。

田村:そうです。それで、次世代リーダー養成講座で「経営品質」について教えていただいたときに、「長期的に卓越した業績をあげ続ける企業」という言葉をきいて、あっ!と思ったんです。

自分は三代目です。継承する会社に五十年の歴史があるからこそ「卓越した業績」を今ここから目指すことができる。でもそれって創業者はできないんですよね、ゼロからのスタートだから。そういうことに気がついたのです。

鈴木:なるほど、長く続けるという意味と、自分の使命みたいなものに同時に気がついたんだ。すごい気づきだね!素晴らしいねぇ。

田村:はい。次に、そういう優秀な企業にするための仕組みづくりについて学ぶうちに、もしかしたら自分にもできるんじゃないかと思えてきました。そういう会社の仕組みをつくっていくということが、自分にとって身近な、意味のあることに思えたんです。 あと、研修の中でつくる課題も「親父さんとコミュニケーションとってくる」とか、身近なことばかりで。 だいしさんの研修のとき、リーダーで付いてくれた古川さんという方が、若いのに経営を自分の問題としてひとつずつ仕組みをつくって取り組んでいる姿を見せてくれて、それにも刺激をうけました。古川さんをとても身近に感じました。 なにしろ子供の頃から経営者になるんだな、という意識はあって、どの道行っても結局自分は経営に関わるんだと思いながら育ってきましたから。

 

企業理念と「お祖父さんの機械」

鈴木:そして、SEEに参加して企業理念を創作することになったんですね。そこでおきた出来事について話していただけますか?

錆びた大きな機械

田村:はい。理念をつくるにあたって社長はじめいろんな方たちに話をきいてまわったのですが、その中で特に印象深かったのが祖父(創業者)の造った機械のことでした。

いつの頃からか、工場内に錆びた大きな機械が、何のためだかわからないけれど、置いてあったのです。それが結構大きいので、邪魔なんですね。

それで、少し前に工場内を掃除しようということになって、自分が「あれ、捨てよう」と言ったのです。すると社長が「うーん、あれなぁ…、でも、まあ、捨てるか」と、何だか歯切れが悪い。業者さんに頼んで取りにきてもらおうという段になると、今度は祖父の代からいる年配の女性社員の方が「でも、アレなくなると寂しいねぇ…」と言うのです。

同年輩の部長も「あれ、昔東北の方まで売りにいったんだよなぁ」と、名残惜しいような言い方をするんですね。どういうことかと思って聞いたら、あれは祖父の造った工作機械だったということがわかりました。

鈴木:機械? それ、マルちゃんのおじいさんが造ったの?

田村:そうです。性能の良さで評判になり、まだ高速道路のない時代に、トラックに載せて遠くまで売りに行った…そういう思い出のあるものだったんです。その後、大企業とのからみやなにかで機械を売ることは止めてしまたったそうですが、古くからいる人たちは、皆その機械になつかしさと誇りを持っていた。結局「じゃあ処分するのはやめよう」ということになりました。今も遺してあります。

インタビュー風景1

それで、そういう色々な話を聞いていくうちに、社内の人たちが段々(理念づくりに)協力してくれるようになってきたんです。たぶん、理念や仕組みをつくるという「新しいこと」の原点に「古いものごとを承認する」姿勢を感じ取ってもらえたんだと思います。

「今までみんなが創ってきた価値を大切にする。そのために理念をつくるんだ!」という立場をとったときに、周りの人たちが協力してくれた。

鈴木:マルちゃんが源泉の立場をとったら、会社がシフトした。「自分が源泉」、そして、企業は「経営者が源泉」。企業は経営者から始まるって、まさにこのことだね!

田村:本当にありがたいと思いました。よく、お墓参りをして先祖やこれまでの基礎をつくった人たちに感謝の心を持つと上手く物事が運ぶ、なんていうのはこういうことなんじゃないかと、身をもって感じました。

 

“永久に保管 後継者一読あられたし”

鈴木:うーん、素晴らしいねぇ。マルちゃんがそういう発見したり、そういう気持ちを持つと、お父さんはうれしいでしょうね。もしかしたらお父さんも、マルちゃんと同じような思いを先代に対して持ったことがあるかもしれない…

田村:両親は、最近ではSEEへの参加に対してとても理解を示してくれていて、社内で「あいつ、もう少しなんとかならんか」みたいな場面になると、父の方から「SEEに行かせたらどうだ?」なんて言葉が出てきます。そういうときは、自分のやっていることを認めて応援してくれているんだと感じます。

自分の行動が変わってきた、その過程を見ていてくれたのかもしれません。

鈴木:以前、お祖父さんの手紙を見せてもらったと言ってたでしょう? それはどんな手紙だったんですか?

田村:もう二十年以上まえですが、会社の記念事業で挨拶をしたときの原稿です。かなり昔ですが会社で作業中に事故で亡くなられた社員の方があり、まずその方のことが冒頭に書いてあって、それから創業時の苦労や会社の歴史についてかかれていました。やはり社長として、相当責任を感じていたのでしょう、ほかにも、その亡くなられた方の鎮魂の碑を除幕するときの挨拶文もあって、同じ封筒にしまわれていました。

代替わりに際して自分の思いを伝えたい、社員を大切にし、会社を守ってほしいという気持ちを伝えたかったのだと思います。

書かれている内容もさることながら、その手紙が大切に保管されて代々伝えられてきたということに、なにかグッとくるものがありました。

お祖父さんの手紙 その後、まるちゃんから実物の手紙を見せていただく機会がありました。 お祖父さんの手紙は、全部で四通、何の変哲もない茶封筒にしまわれていました。マルちゃんの話してくれた挨拶文は、どちらも長い長い巻紙に毛筆でしたためられており、その筆跡からもお祖父さんの真剣な思いが伝わってくるようです。 そして、それらを入れるにはやや小さめ、すこしくたびれて見える茶封筒の左すみには、赤鉛筆で「永久に保管 後継者一読あられたし 田村政雄」と書かれていました。 その生々しさに、思わず息を呑みます。「家訓」という使い慣れない言葉が頭に浮かびました。いずれにしても、創業者の思いは昭和から平成へと受け継がれ、三代目のマルちゃんのもとへ無事に届けられたのです。

鈴木:たしか、お父さんへの代替わりの時期だったと思うんだけど、お祖父さんが体調を崩されたと聞きました。そのときのことを話してもらえますか?

田村:そうですね、ちょうど親父さんが会社を継いだ時分ですが、脳溢血でお祖父さんが倒れたんです。で、これまでの業績を数字ベースでまとめてみると、その時期に業績がグッと落ち込んでいるんですよ。…その頃は毎年赤字、というよりも、債務超過だったんですね。継いだばかりだった父親の気持ちを考えると…

自分はまだ子供でしたが、父親の「会社継いだっていうけれど、借金継いだだけなんだよな」っていう言葉を覚えてますから。

鈴木:そういうお父さんの気持ちが、わかるようになってきたんじゃない?

田村:たしかに「会社は大きくしなくてもいい、とにかく堅実に」という、その「堅実」というのはなんとなくわかるような気がしますね。

鈴木:ところで、マルちゃんにとって新潟から毎月SEEに来る意味ってなんなんだろう?

田村:最近思うのは、一緒にやってるメンバーからのフィードバックは、煎じ詰めると全部、「源泉に立て」ということじゃないかと。どのメンバーの言葉も結局「自分が源泉」いうメッセージに聞こえる。それをSEEに来るたび毎回繰り返すわけで、そういうトレーニングの結果として、自分でも意識せずに源泉を生きられるようになったのかもしれません。少しずつですが、そういう力がついている気がします。

反応としては頭にカーッと血が上るようなことがあっても、落ち着こう落ち着こうと思う、そうすると、ふっと、本当にふっとなんですが、自分はどういう立場をとればいいのか? と考えるようになりました。そういうときは、自分が源泉〜全てのことは自分から始まるという考え方を訓練できてたのかな、と感じます。繰り返しトレーニングさせてもらった成果ですね。

鈴木:本当にそうだね。そういうときに「あいつ、どうにかなんないかなァ」だったら、そこで終わりになっちゃうもんね。

田村:それで、そういうふうに考えられるときって、自分に対して、それはそれでいい、あるがままでいいという「許可」も同時に言ってるような気がします。「ま、つぶれやしないさ!」という許可を与えるとか。こういうことを言えるのはすごく恵まれたことだとは思うんですけど、ただ厳しく自分を縛るだけでは力が出ないので、まず「つぶれやしないさ!」とやるんですね。そのうえで、社内を見直したり、仕組みをつくったりするようにしています。

鈴木:社長(お父さん)に、「あと五年間、お願いします」と言ったそうですね。

田村:うーん、「五年間はがんばってください」とは言いました。ただ、財務面では一応落ち着きましたから、何が何でも残ってくれとは…父親は以前から65歳で引退すると言っていましたし、会社をはなれて世界一周旅行したいと言うのなら、それは叶えてあげなくちゃとも思うんです。

お祖父さんの手紙

ただ、いまうちの会社は若手とベテランに二分されていて、中間層とがいないんですね。これから若手を育てるのにいろいろ手もかけなくてはいけない、でもベテランをないがしろにするのも良くない…。そこで若手が前線へ出られるようにするために、ベテランの人たちにサポートをしてもらうという体制、仕組みを作ろうと思っているのです。

これからの五年間くらいは、この世代間のバトンを繋ぐのがポイントになってくるかなと思ってます。その世代のバトンの第一弾として、自分と社長の間でもそういう関係をつくりたいと、そういうことを父親には話しました。

それで、「代表権を譲ってもらったあとも親父さんさえよければ、あと五年間、一緒にやってもらえないか」と言いました。

そうしたら、「いや、俺は死ぬまで、朝起きたらまず会社へいって、寒い時期ならストーブ点けたりお茶汲みなんかしながら、午前中はそうやってみんなのこと見てるんだ」、そういうふうに過ごすつもりだって言うんですね。だから、これからも親父さんとは、そういう時間に色々な話ができるのかなと思っています。

鈴木:そういう話ができるようになったんだね。その方がお互いにいいよね、お互いにクリアになるから。

田村:ずっとクリアにしたいとは思ってました。歳とっても会社へ来たいんじゃないか、とも感じていましたし。いつか、はっきり口に出して聞いてみよう、と。

これから代表権を譲られるにあたって「親父が源泉」で代替わりってのも良くないですから。これから全部自分で決めていく立場になるわけですからね。

なので、ここのところはどうしても自分から話しかけたかったんです。本当に良かったなと思っています、こういうタイミングで父親ときちんと話せて。

インタビュー風景2
  • 事業継承者が『自分が源泉』を生きたとき
  • 話し手(左)
  • 株式会社田村製作所
  • 専務取締役 田村 正光氏
  • 聞き手(右)
  • シナジー・スペース
  • 鈴木 博

小川昇太郎氏のインタビュー

1
「自分が源泉」には愛と承認がある
2
自分と向き合うことで「完了」できる

関連リンク

第四銀行
http://www.daishi-bank.co.jp/
だいし経営者クラブ
http://www.daishi-mc.jp/